下の写真で、ピンク色の船が、クジラをかたどった半潜水型遊覧船「ジーラ」で
海面下1.2mのおなかの中から、海中の世界を見ることができるそうです。。
下の写真は観光船「さよひめ」です。
呼子の朝市の由来や歴史等は、以下のようです。
【朝市の由来と歴史】
呼子港は風光明媚な天然の良港であり、地理的にも重要な位置をしめており、古くから我が国の大陸文化、交易の基地として栄えてきました。
戦国時代は海賊「呼子氏」の、また江戸時代には唐津藩の支配化にありながら港への船の出入りが自由であったため他藩の船や商人が多く集まり、64軒もの問屋が建ち並び城下町、唐津に劣らない繁栄を見せていました。
このように呼子は商港、非難港、そして古くから漁港として発展した歴史のある町です。
今から約300年前に唐津藩の捕鯨業が始まり、呼子村の小川島や加部島などで解体された鯨肉が呼子港に陸揚げされ、他の鮮魚などと「触れ売り」の形で行商されていました。また、呼子近郊の村々からも農家の主婦らが農産物を荷い籠で町内を流し売りをしていましたが大正時代に入り中町に商店街が出来ると生活物資の購入に便利なため、自然と流し売りをやめ商店の軒先に定着し現在の朝市の形態を整えました。
そして、昭和10年頃松浦町に商店街が形成され、さらに呼子〜唐津間にバス路線が開設されると、松浦町商店街はますます賑わいをみせ、それにともない朝市も現在地に移転し共存共栄の形で定着しました。
【現在の朝市 日本三大朝市】
呼子大橋が開通した平成元年から行われている朝市まつりは、朝市関係者だけではなく町、商店街、商工会、漁協、農協、婦人会などいろいろなかたの努力により日本三大朝市として認められるようになった。
そして現在は、朝市組合も結成され、呼子の観光の目玉となっている。
○日本三大朝市:輪島(石川県輪島市)、高山(岐阜県高山市)、呼子(佐賀県呼子町)