【島原城〜武家屋敷街】
島原城は元和4年(1618年)から松倉豊後守重政が、当時森岳と呼ばれた高地を城の
かたちに切とって石垣を積み、堀を掘って7年の歳月を費やして築いたものであります。
総塗りごめ、白亜五層天守閣を中核として大小50の櫓を要所に配し、
これを囲む矢挟間塀の長さは総延長2233メートルという規模の大きさで
安土桃山時代の築城様式をとりいれた壮麗なものでありました。
【武家屋敷街】
島原城の西に続く一帯を、鉄砲町と呼びます。鉄砲町は島原城の築城とともに形成され、
鉄砲町の名は鉄砲組(徒士)の住居地帯であったことと、造成当時隣家との間に塀がなく、
まるで鉄砲の筒の中を覗くように武家屋敷街が見通せたので、その名がつけられたと言われています。
7つの町筋は碁盤の目のようにできており、ここには扶持(ふち)取り70石以下の徒士(かち)屋敷が
690戸ありました。